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教育

教育というものは基本的に学校で行うものではない。 子どもたちの親が行うことが基本である。 学校教育の問題は預かったからには責任を全うして自立した人格形成を手助けし社会や世界、宇宙にまでも貢献する人材を育んでいく自覚の欠如にある。 カリキュラムの自由化が少ない日本は均一化され平凡な人材の育成をしてきており、学習指導要領が謳うような個性は埋没していく一方である。 日本社会自体が国の言うグローバル化が成されておらず、純粋な子どもたちはその大人たちを見て育つ。 非行や犯罪に向かう青少年は減少してきたが、逆に減少してきた意味を考えると怖くなってくる。 彼らは社会を見て満足している。改革もカイゼンも必要ないかのように振る舞う。 まるで、社会の生き写しのように。 不安と不満を抱えて自分自身で解決に挑んでいく。 確かに自助独立の精神は福沢諭吉も諭すように良いことだ。問題は解決不能の場合である。 彼らは大人に助けは求めない。 かつての武士のように。 素晴らしい原石を磨くとき、相手がダイヤモンドなら自分はダイヤモンド以上の質が必要になる。 人間は完璧にはなれない永遠不完全な生物である。 そのために知恵と協調の力で生き抜く。 誰ひとり、この自然法則から逃れることはない。 生きるためには食べ、食べるためには稼ぎ、稼ぐためには必要な能力を身につけ、身につけるためには学ばなければならず、学ぶためには教育を受け、教育を受けるためには生まれ、生まれるためには安全と愛がなくてはならず、安全と愛のためには平和と国と世界がなくてはならない。 私たちが当たり前と感じていることは実に奇跡の賜物であると知れば人間は遥かに成長し知識も生きる力も内なる心に宿る。 学校のカリキュラムでは学べないことは宇宙の銀河以上に存在する。 こうしたものは競争すら必要としない。 自分自身との競争はあるが他者との競争は存在しない幻である。 ある人間に自分自身が知らないことを尋ねて答えられるとその人間を何でも知っている人間だと勘違いする。 私たちは勘違いで生きている。 勘違いが上手な人間は成長し続けていく。 限界にすら勘違いし成長し続けていく。 生活の中で学べないことは何もないが自分自身から学ぶことを忘れた瞬間から私たちは総てを忘れてゆく。 最終的には自分自身すら忘れていく。 私たちはどこから来て、どこへ行くのかを見失ったのである。 その疑問を解くために歴史や宗教、思想が生まれ、物理学、天文学、化学といったものにまでたどり着いた。 世界に目を向けると地理や各国の政治や経済といった公民的要素も必要になる。 文化は歴史の変遷の過程から生まれるし、芸術も背景には文化や政治があることも多い。 数学は無意味だという者も自分の誕生日を知っているし買い物をする。 テレビを見たりスマホやパソコンでメール、ライン、SNS、電話をする。 情報通信料のパケット代を定額にして、インターネットを介してYouTubeを見たり、映画を見たりする。 その情報のやり取りには数学が関係し熱力学におけるエントロピーの概念を情報通信に応用した情報エントロピーまでも関係する。 楽天やAmazonで買い物したとき、支払い方法をクレジットカードにする人もいる。 クレジットカードは大本をたどると素数に行き着く。 暗号方式を解読するハッカーは個人情報ではなく最大の素数を探して欲しいものだ。 そして、リーマン予想に挑んで歴史を変えてみて貰いたい。 私たちはテレビやスマホやパソコンを見たり操作したりしながら理系文系云々問題を語る。 突出した理系が突出した文系を非難できるだろうか。 ともに、論理も表現もトップクラスだ。 ニュートンがダンテをアインシュタインがゲーテを非難できるだろうか。 ニュートンは万有引力を発見したがダンテの詩の構造は数学的である。「神曲(劇)」は100曲あり、10の2乗である。10は完全数だ。 アインシュタインは相対性理論でニュートン力学がカバーできなかった部分を説明した。 ゲーテは詩人であり作家、鉱物学者であり色彩学者でありとさまざまな顔をもっていた。 本質はこのことに尽きるのであって理系文系云々は互いの尊敬と尊厳を前提にしなければできない議論である。 レオナルド・ダ・ヴィンチのような万能人はルネサンスという時代が生んだのだが、現代に来て文明を見渡すと恐らく彼は画家では時代遅れ、科学では過去の遺物扱いされ、生活のためのパトロン探しのために書いた自薦状は恐らく無視される。 ルーブル美術館で自分が大切にしていた絵画を見つけると未完成だと取り上げて私たちの目にはそこにあったであろう絵画の台座のみが残される。 逆に彼ほどのレベルならば、現代にすぐに溶け込み社会科の資料集から彼の名が消えているかもしれない。 空飛ぶ飛行機を見て、宇宙の写真を見て、情報の多さに世界の広さに驚くことは間違いない。 確かに、彼らルネサンス人は魅力的だ。 万能人を見つけることは容易い。 それでも、もし彼らが現代に来て感じることを想像することは私たちが恵まれている証でもある。 ダンテのベアトリーチェへの恋慕や苦悩がゲーテのウェルテルの悩みに通ずるものがあることも人間は同じだが違う悩みをもつことも理解できる。 合理的ではない感情に合理性を求めると人間は機械にならざるをえない。 感情を操作することは簡単だが自分の感情を抑制できないことへの理解の方が高尚に思える。 他者は私たち以外のために存在する。 私は他者以外のために存在している。 他者は他者以外のために存在する。 故に汝は汝自身のために存在する。
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